大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和59年(あ)626号 判決 1989年4月21日

主文

原判決及び第一審判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

弁護人阿部泰雄外二九名の上告趣意は、憲法三一条、三七条一項、二項、八二条違反をいう点を含め、その実質はすべて単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

しかしながら、所論にかんがみ職権で調査すると、原判決及び第一審判決は以下の理由により破棄を免れない。

一一、二審判決の概要

原判決が是認した第一審判決の認定判示する犯罪事実の要旨は、「被告人は、昭和五〇年一二月二〇日午後九時二三分ころ、業務として普通貨物自動車を運転して、国道四九号線を新潟市方面から会津若松市方面に向かい時速約四〇キロメートルで走行中、新潟県東蒲原郡津川町大字津川三四四五番地先道路にさしかかったが、当時夜間であり、しかも現場付近には霧が発生していて必ずしも前方の見通しが良好ではなかったから、速度を調節し、一層前方の注視に努め、進路の安全を十分確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前方注視不十分のまま漫然前記速度で進行した過失により、折から酩酊してセンターライン付近の進路上に横たわっていたE(当時四〇歳)に気付かず、自車右側前・後輪で同人の頭部から胸部にかけての部分を轢過して、同人を即死させた。」というものであるところ、本件の争点は、被告人の運転する普通貨物自動車(最大積載量4.5トンのいわゆる平ボデーのトラック。以下「被告人車」という。)が被害者を轢過した車両(以下「轢過車両」という。)であるか否かである。

第一審判決は、第一に、事故現場を通過した関係各車両の通過時間・擦れ違い地点等を中心とした検討によると被告人車を轢過車両と考えざるをえないこと、第二に、鑑定により被告人車の右後輪等には被害者と同じO型の人の血液と毛髪が付着していたと認められること、第三に、現場付近で異常走行を体験した旨の被告人の捜査官に対する供述は信用できることを、それぞれ詳細に説明して、被告人車が轢過車両であると認定し、被告人を禁錮六月、執行猶予二年に処し、原判決は、ややニュアンスを異にする理由説示を含むものの、第一審判決の事実認定を是認し、被告人の控訴を棄却した。これに対し、被告人及び弁護人は、第一審以来、被告人車は事故現場を無事に通過したのであり、轢過車両は後続車である旨主張している。

二捜査の経過等

前記日時場所において、被害者が酩酊して道路のセンターライン付近に横たわっていたところを新潟市方面から会津若松市方面に向かう自動車に轢過されたこと、轢過車両は普通乗用自動車のような軽量級ではなく中量級のトラック・バス類であり、一台の車両だけが轢過に関与していると推定されること、被告人車も右時刻ころ同方向に向かって事故現場を通過していることは、関係証拠上明らかであり争いがない。被告人車が轢過車両として特定されるに至った捜査経過をみると、被告人車は、事故現場を通過後、そのまま国道四九号線を会津若松市方面に向かって走行し、同日午後九時五五分ころ、事故現場から約二六キロメートル余の地点にある福島県警察喜多方警察署西会津派出所前で本件事故の轢過車両発見のための交通検問を受けたが、異常なしということで通過を許され、宮城県志田郡松山町の自宅に返った。新潟県警察津川警察署が右検問の記録に基づいて関係警察署にいわゆる車当たり捜査を依頼したことから、本件事故の二日後の一二月二二日に宮城県警察岩沼警察署の警察官が、岩沼市内の○○工業株式会社仙台工場(被告人の勤務先)及び岩沼警察署において被告人車を見分した結果、まずその右後輪タイヤ外側面に幅約二〇センチメートル、長さ約一九センチメートルというかなり大きい血痕様付着物(以下「右後輪付着物」という。この付着物から、同日岩沼警察署巡査部長林長が白色木綿糸に採取したものが、原判決のいう資料①であり、翌二三日新潟県警察本部鑑識課技術吏員横山修一が白色木綿糸に採取したものが、原判決のいう資料③である。以下、本判決でもこの資料番号を用いることにする。)が発見され、その他にも右後輪付着物中に塗り込められた状態で付着していた毛髪様の物二本(原判決のいう資料②)、右後輪後方の泥除板に付着していた血痕様付着物(以下「資料⑤」という。)、右前輪ショックアブソーバー下部ステーに付着の毛髪様の物(原判決のいう資料④)等が発見された(他にも、若干の付着物や痕跡が発見されているが、一、二審判決とも本件事故との関連性を認めていない。)。被告人は、一二月二三日から司法警察員の取調べを受け、当初は被告人車が轢過車両であることを否定していたが、同日右後輪付着物が人血であると鑑定された旨告げられた後に、現場付近で異常走行を体験した記憶があり、自分が事故を起こしたのかもしれない旨の供述を始め、翌二四日には現場付近で指示説明し、自分が事故を起こしたことは間違いないと供述するに至った(以下、被告人のこの供述を「異常走行体験供述」という。)。その後、被告人は、昭和五一年一二月六日の検察官の取調べにおいては、異常走行体験供述は漠然と仮定の話として述べたにすぎないとしてこれを撤回しているが、専門家が被告人車に付いていた痕跡を人の血や毛に間違いないというのであれば、右後輪でひいているのかもしれない旨供述しており、資料③は被害者と同じO型の人血であり、資料②及び④は人の毛髪である旨の横山技術吏員による鑑定など、被告人車の痕跡と本件事故とを結び付けるような鑑定結果が出揃っていたため、検察官は被告人車を轢過車両と断定して本件起訴に及んだものと思われる(以上の捜査経過の概要は一、二審判決からもほぼ明らかであり、この限度では争いのないところといってよいであろう。)。

三被告人車の付着物とその鑑定以外の証拠について

ところで、第一審判決は、被告人車の付着物及び被告人の異常走行体験供述以外の、A、B、C、D等の供述を中心としたその余の証拠関係を仔細に分析することにより、被告人車を轢過車両と特定しうる旨判示しており、原判決も程度の差はあれ、これらの証拠関係を相当重視している。また、一、二審判決とも、被告人の異常走行体験供述の信用性を肯定し、これを被告人車を轢過車両と認めるための有力な証拠の一つと評価している。しかしながら、右一、二審判決の証拠評価には、以下に述べるような疑問があるといわざるをえない。

1  被告人車とバスの擦れ違い地点の問題

被告人は、異常走行体験供述をしていた捜査段階から一貫して、事故現場から約一三〇メートル会津若松市寄りにある「阿賀の川タクシー」看板付近でバスと擦れ違ったと述べている。このバスはB運転の新潟交通の定期バスであり、Bは新潟市方向に運転中、事故現場で被害者が横臥している状況を目撃しているが、このときはまだ事故前であったことは一、二審判決がともに認定し、その認定は是認できるところであるから、被告人の右供述が正しいとすると、被告人車が轢過車両ではありえないことになる(Bは被告人車のようなトラックとの擦れ違いについては何も記憶していないと述べている。)。第一審判決は、被告人の右供述はその根拠があいまいであるなどとして、その信用性を否定し、被告人車とB運転のバスとの擦れ違い地点を事故現場よりも新潟市寄りの地点であるとしているが、被告人の右供述は、かなりの根拠を伴っており、少なくとも、本件における被告人以外の者の同種供述よりもその根拠が薄弱であるとはいえないし(検察官も第一審の論告までは、被告人の右供述は信用できるとし、逆にBの目撃供述が不正確であり、同人は事故にあった後の被害者を目撃している旨主張しており、被告人の右供述の信用性については、全く争いがなかった。)、事故現場から新潟市寄りの新潟交通津川営業所(B運転のバスは事故現場通過後この営業所に入構した。)までの間に、「阿賀の川タクシー」の看板と見誤るようなものが存在していたという証拠はないところ、被告人は、右供述をする前に、バスの運転手のBがどのような供述をするかは知る由もなかったことが明らかである。原判決も、このような点を考慮したのか、第一審判決とは異なり、被告人車の右後輪付着物につきO型の人血であるとの鑑定がなされていること、及び被告人の異常走行体験供述が信用できることをも、被告人の右バスとの擦れ違い地点に関する供述の信用性を否定する理由としているのであって、やはり、被告人車の付着物及び被告人の異常走行体験供述の評価を抜きにしては、被告人の右バスとの擦れ違い地点に関する供述の信用性を否定することはできないというべきである。

2  Cの擦れ違い車両に関する供述の正確性

一、二審判決の論理を追っていくと、被告人車を轢過車両と推定するキーポイントは、被告人車とは逆方向から軽四輪乗用自動車を運転して事故現場にさしかかり本件事故を発見したCの供述から、同人の車が事故現場より約二キロメートル会津若松市寄りの国道四九号線沿いにある平堀の元ボーリング場付近から事故現場に至るまでの間に擦れ違ったトラックは、同人が記憶しているという宮川魚店(事故現場より約四五〇メートル会津若松市寄り)付近で擦れ違った一台だけであり、他にはなかったと認められるという点であろう。そして、一、二審判決はこのトラックが被告人車であるとしている。しかし、Cの供述によっても、同人は当時対向車線のトラックに特に注意を払っていたわけではなく、ごく普通に自動車を運転していたにすぎないのであり、同人に前記一台のトラックについての記憶しか残っていないからといって、二キロメートルもの区間において他に擦れ違ったトラックがなかったと断定することは、事柄の性質上無理というべきであろう。このように、Cの供述からは、当時C車が擦れ違ったトラックが宮川魚店付近の一台に限定できないとすると、一、二審判決(特に第一審判決)の精緻な推論にもかかわらず、轢過車両は被告人車に後続していた別のトラックであり、それが宮川魚店付近でC車と擦れ違ったのではないかという可能性を否定することはできないことになる。

3 検問関係証拠の価値

一、二審判決とも、Dの供述等により、前記西会津派出所前で約五分ほど停車して検問を受けてから発進した被告人車と入れ違いにD運転のトラックが右検問場所にさしかかったこと、Dは事故直後に新潟市方面から現場にさしかかり、そこで他の車両とともに事故処理を待った後、先頭となって会津若松市方面に向かって発進し、検問場所まで他の車両を追い越すことも、逆に他の車両に追い越されることもなく走行したこと、国道四九号線の事故現場から検問場所に至る間には、トラック等が通り抜けるようなめぼしい枝道は存在しないことなどの事実が認められ、これらの検問関係の証拠によっても被告人車が轢過車両であることを否定できない旨判示している。しかし、一、二審判決の右認定及び判断は、国道四九号線の事故現場から検問場所までの約二六キロメートルの区間を走行する車両の順序は国道上での追い越しや追い越されがない限り変わらず、事故現場を会津若松市方面に向かって通過した車両は必ず検問場所に行きつくはずであることを前提にしていることが明らかであるところ、関係証拠によると、右約二六キロメートルの区間には少なくとも四本の県道レベルの脇道があるほか、その他の小さな脇道や駐車スペースも多数あることが窺われ、轢過車両は、たとえ脇道から遠方へ通り抜けてしまうことが困難であったとしても、脇道等を利用して後続車との走行順序を変えることは容易であり、また、ユーターンして新潟市方面に戻ることも不可能ではないから(轢き逃げ車両の運転手が脇道に入りしばらく停車して事故の痕跡を払拭して元の道に戻るというようなことは通常予想されるところであるが、本件において、このような可能性を考慮しなくてよいような特段の事情があったとは、一、二審判決も説示していないし、記録によるもそのような事情があったことは全く窺われない。)、右の前提が成り立たないというべきである。

4 被告人の異常走行体験供述の信用性

被告人の異常走行体験供述についてみると、その内容は一、二審判決に要約されているとおりであって、被告人車の右後輪のみによる轢過を推定せしめるものである(検察官は起訴状において右後輪のみによる轢過を主張していた。)。しかし、仮に被告人車が轢過車両であるとすれば、右前輪及び右後輪がともに被害者の頭部等に乗り上げる形で轢過したと認めざるをえないことは、関係証拠上明らかであって、一、二審判決とも轢過態様をそのように認定しているところである。被告人が当時居眠り運転をしていたのでない限り、被害者を轢過したのであれば、相当強力な衝撃を二度にわたって感じたはずであり、特に前輪は運転席のほぼ真下にあって、右前輪による轢過の衝撃は強く感じられたはずであるから、被告人の異常走行体験供述は、他の客観的証拠から認められる轢過態様と矛盾するというほかない。被告人車の右後輪付着物は取調官及び被告人の双方に強烈な印象を残したものと思われるから、被告人の異常走行体験供述は、取調官の誘導と被告人の想像による産物ではないかという疑いを否定できないであろう。また、被告人は、異常走行体験供述においては、前記の地点でバスと擦れ違う前にそのような体験をした旨供述しているのであるところ、一、二審判決とも、前記のとおりバスとの擦れ違い地点及び時期に関する供述部分は信用できないとしているのであるから、異常走行体験を述べる部分の信用性についても慎重な検討が必要である。

以上のような疑問点を考慮すると、被告人車の付着物とその鑑定の関係の証拠を抜きにしては、被告人車を轢過車両と断定することは不可能というべきである。

四被告人車の付着物及びその鑑定について

そこで、被告人車の付着物及びその鑑定についての検討に移るが、この関係で最も重要なことは、右後輪付着物等にO型の人血が含まれていて、それが本件事故に由来するものと推定することに疑問の余地がないか否かということであろう。右の推定が動かないというのであれば、前記のようなその余の証拠の欠陥にもかかわらず、被告人車を轢過車両と認めざるをえないであろうし、逆に、右の推定に疑問が残るというのであれば、付着物の関係からも、被告人車を轢過車両とは断定できないことになる。したがって、以下、血痕鑑定をめぐる問題を中心に検討する。

1  血痕鑑定等の結果

主として一、二審判決によって、前記資料①③⑤についての血痕鑑定等の結果をみると、おおよそ次のとおりである。

資料③は、捜査段階で鑑定されており、前記横山技術吏員が昭和五〇年一二月二三日宮城県警察本部鑑識課の設備を借りて、ロイコマカライト緑テストにより血痕の予備試験をした結果陽性であり、その際宮城県警察本部技術吏員富谷定儀が沈降素反応重層法による人血検査をしたところ、人血であるとの結果が出た。その後、横山技術吏員は新潟県警察本部鑑識課に帰って検査を実施し(以下「横山鑑定」という。)、フィブリン平板法及び解離試験法により、それぞれ人血であること及び血液型がO型であることの結果を得た。他方、資料①⑤は、捜査段階では鑑定されることなく、捜査報告書の末尾に袋に入れて添付され、後記桂鑑定に付されるまで、検察庁や裁判所の記録に綴じて保管されていた。なお、資料⑤は、林巡査部長が昭和五〇年一二月二二日に被告人車の右後輪泥除板付着の血痕様の物から採取したものであるが、横山技術吏員が翌二三日に被告人車から資料を採取する際にその同じ血痕様の物につきロイコマラカイト緑テストを実施したところ、陰性の結果が出ている。

第一審においては、まず、昭和五三年七月から一〇月にかけて船尾忠孝教授により鑑定(以下「船尾鑑定」という。)が行われ、資料③(横山らが検査していなかった部分)について、いわゆる輪環反応法(当時一般的に行われていた人血試験)により血痕鑑定をした結果、人血の証明が得られないとの結論が出された(予備試験では、ベンチジン反応が陽性で、フェノールフタレン反応が陰性であった。)。次いで、昭和五四年五月から九月にかけて桂秀策教授により鑑定(以下「桂鑑定」という。)が行われ、資料①⑤について、顕微沈降反応法(桂教授によって開発された新しい人血試験)及び型的二重結合法により血痕鑑定をした結果、いずれも人血で血液型はO型であると推定されるという結論が出された(但し、O型判定につき抗H凝集素は用いていない。なお、事後的に行った予備試験のルミノール反応も陽性であった。)。

2  血痕鑑定(特に桂鑑定)自体についての検討

一、二審判決とも、桂鑑定を全面的に信用できるとし、船尾鑑定は、その検体が異なること、各検査法の鋭敏度が異なることなどから桂鑑定とは矛盾しないとみることができるし、それ自体に若干の疑問もあり、横山鑑定及び富谷技術吏員の検査結果をも考慮すると、桂鑑定の信用性に影響を及ぼすものとはいえない旨判断している。

しかし、船尾鑑定については、一、二審判決が指摘する検体の陳旧度に対する配慮の点や検体からの浸出液の濁りをどのようにみるかという点は、船尾教授が第一審証言において明快に説明しているところであり、一、二審判決が具体的に何を疑問としているのか判然としないし、輪環反応法によっては人血の証明が得られなかったという結論を信頼できないとすべき理由はない。横山鑑定については、同技術吏員が資料③の鑑定と同時に、被告人車のショックアブソーバー下部から採取されたとされる肉片様の物についても鑑定し、人の肉片であり、血液型はO型であるとの結論を出しているところ、船尾鑑定では、これは人に由来する組織片ではないことが証明されたとされていることを看過してはならない。一、二審判決ともこの肉片様の物と本件事故との関連性を認めていないのであって(検察官は、第一審においては、この肉片様の物も本件事故に由来する旨主張したが、後述の推定される轢過態様との関係で、その付着部位からもこの肉片様の物と本件事故との関連性は疑問視される。一、二審判決とも、明言はしていないが、横山鑑定の右部分を排斥しているとみるほかないであろう。)、このことは、その資料③についての血痕鑑定にも疑問を投ずることになるであろう。富谷技術吏員による検査については、船尾鑑定の結果が出る以前には、そのような検査が行われたこと自体が血痕鑑定に関する横山技術吏員の証言等にも全く出ていなかったし、横山・富谷両技術吏員の各証言によって、検査の概要が述べられているだけであって、その詳細なデータは保存・提出されていないから、これを船尾鑑定を疑問視する材料にすることは相当とは思われない。

次に、血痕予備試験の結果について検討すると、一、二審判決とも、予備試験は簡易なものであるなどとして、前記のような一部における陰性の結果を軽視しているし、原判決は、他方で予備試験の反応が陽性であるということだけで血液であるといえるかのような判示をもしている。しかし、前記の血痕予備試験の各検査法は、いずれも、血痕のように見える斑痕のうちから血痕らしいものを速やかに選び出すための簡単で極めて鋭敏な検査法であって、従来一般に、検体についていずれかの方法で陰性の結果が出た場合については、実際上は血痕の付着なしとみてもよく、それ以上の検査は省略してよいが(つまり、その斑痕を採取する必要はない。)、逆に陽性の結果が出た場合は、検体が血痕らしいということにすぎず(予備試験は血液以外の物質にも陽性反応を呈することがある。)、血痕であると断定するためには本試験(輪環反応法も顕微沈降反応法も本試験である。)を行なう必要があると説明されている(船尾教授の証言等参照)。したがって、本件において予備試験の一部において陰性の結果が出ていることは、重要な意味を有するのであって、一、二審判決には、予備試験の意義についての誤解があるといわなければならない(なお、予備試験の中でも、ベンチジンテストは、鋭敏度の点では群を抜いて最高であるが、特異性は最低であり、血液以外の多くの物質に陽性反応を呈するので、船尾鑑定において、ベンチジン反応が陽性であり、フェノールフタレン反応が陰性であったことは十分理解できるのであり、前者の陽性反応を重視することは相当でない。また、原判決に「ベンジンテスト」とあるのはベンチジンテストの誤記と認められる。)。

ところで、桂鑑定については、鑑定書に添付されている桂教授等の論文において、顕微沈降反応法は短時間で反応が起こるので実用化に向くということが強調されており、血痕化してから一週間程度のものは数分ないし十数分、二年以内のものは約三〇分、五年ないし一八年のものでも、四分の三は一時間以内、残りも殆ど数時間程度、二一年ないし二六年の保存状態が悪いものでも三分の一が一時間以内、残りで出るものについてはすべて一夜静置(一〇時間程度)で、それぞれ反応が出たという実験データが紹介されているところ、本件の検体(資料①⑤)は約三年六月を経過しているにすぎないのに、陽性反応が出るまでに四八時間ないし七二時間という長時間を要したとされている点に、特に注意すべきであろう。桂教授は証言において、検体が古くて薄くて少量であるからであると説明しているが、前記論文における実験データと比較すると、この点の疑問はなお残るといわざるをえない。また、顕微沈降反応法と予備試験との関係についてみると、桂教授は、証言では別の説明をしているが、鑑定書添付の文献3の論文においては、顕微沈降反応法で陰性となった陳旧血痕検体一五例についてロイコマラカイト緑テストを行なったところ五例が陰性であった(すなわち一〇例が陽性であったということであろう。)という実験データを発表しているし、船尾教授も証言において、ロイコマラカイト緑テストで陽性に出なかったものについて顕微沈降反応法を試みても陽性に出ないと思うと述べているのであって、前記予備試験の一部における陰性の結果からも、桂鑑定の結論には不安が残る(なお、桂鑑定については、その検体である資料①⑤の鑑定前の前記のような保管状況も気にかかるところである。)。このような疑問点を念頭に置きつつ、桂鑑定の意味するところを検討してみると、桂教授が証言において、しばしば本件検体が非常に薄まっていると述べているほか、検体に含まれている血痕は、ピコグラム(一兆分の一グラム)単位のごく微量なものにすぎないと推定すると述べていること(記録六冊五七六〜五七七丁)に注目すべきであって、桂鑑定の結論を採用するとしても、船尾鑑定及び予備試験の陰性の結果をも考慮すると、それは、肉眼で血痕のように見えた右後輪付着物等の大部分は人血以外の物質であり、桂鑑定の時点では新開発の顕微沈降反応法以外の検査法では検出されえないほどの極めて微量の人血が非常に薄まった状態で右付着物に含まれていることを示しているにすぎないと理解すべきことになろう(資料①③の採取者である林巡査部長や横山技術吏員はこの種の作業に習熟していたということであるから、通常の血痕鑑定を予定してそれに十分な分量を相当な方法で採取したものと思われるし、木綿糸への転写の過程での希釈ということを考える必要がないことは、第一審判決が指摘しているとおりである。)。

3 推定される轢過態様との関係における右後輪付着物及び桂鑑定の検討

被告人車の右後輪付着物については、被告人車が轢過車両であるとした場合に推定される轢過態様との関係という問題があり、第一審において、この点に関連して、江守一郎教授、上山滋太郎教授及び井上剛教授による鑑定(以下、それぞれ「江守鑑定」、「上山鑑定」及び「井上鑑定」という。)が行われている。一、二審判決は、被告人車の右後輪付着物が本件事故により付着することはありえないとする江守鑑定があることを考慮してか、轢過態様についてかなり立ち入った判断を示している。

第一に、桂鑑定との関係で重要なことは、一、二審判決が、轢過態様についてかなり異なる認定をしているにもかかわらず、ともに右後輪付着物は、被害者の出血部位が触れることによって形成されたと認定していることであろう。確かに、記録中の右後輪付着物の写真を検しても、飛散血が付着したものとは考えられない(江守鑑定参照)。しかし、桂鑑定によっても、右後輪付着物の大部分は人血以外の物質であって、極めて微量の人血が非常に薄まった状態で含まれているとしか認められないことは前述したとおりであって、被害者の出血部位が直接触れることによって右後輪付着物が形成されたのであれば、このように微妙な血痕鑑定の結果になるとは到底考えられない。このように、被告人車を轢過車両であるとした場合に推定される右後輪付着物の形成過程との関係を考慮すると、桂鑑定の結論を採用するとしても、右後輪付着物が本件事故に由来するものと認めるには疑問が残るといわざるをえない。

第二に、一、二審判決が認定する轢過態様によって、被告人車の右後輪付着物が説明できるのかという点について検討する。井上鑑定は、被告人車の付着物や痕跡とされているもののほとんど全部が本件事故によるものであることを所与の前提とした結果、被害者は路上に横たわっているところを轢過されたのではないという結論を出している点で採用しがたいから(検察官もこれを支持していない。)、一、二審判決がこれを無視していることに問題はないが、上山鑑定には、そのように重大な疑問点はないと思われるのに(詳細な鑑定書が作成され、上山教授については当事者双方とも証人尋問の請求をしていない。)、一、二審判決ともその轢過態様の認定において、特に説明を付することなく、右鑑定に示されている専門的知見を無視している点で、疑問があるといわざるをえない。また、江守鑑定について、第一審判決は、右後輪のみによる轢過を前提としている点で本件に適切とはいえず、その分析手法もいささか機械工学的なものに偏りすぎているから採用できないとして簡単に排斥し、原判決は、疑問点を具体的に指摘することなく、結局、その認定にかかる独自の轢過態様と対比して採用できないとしている。しかし、江守鑑定は全体として極めて明快であって、右後輪による轢過以前に右前輪による轢過があるか否かによってその結論に影響があるわけでないことは、鑑定書自体からも明らかであるし、原審で提出された同教授の鑑定補充書に説明されているところでもある。その鑑定手法が機械工学的なものになっているのも、鑑定事項の性質上当然のことと思われるし、上山鑑定及び井上鑑定(井上教授の証言を含む。)は、江守鑑定の結論には批判的であるが、説得力のある論拠が示されているわけではない(上山鑑定は江守鑑定に同意すべき点が多いとも述べている。)。一、二審判決が、前記のような理由によって、江守鑑定を排斥したのは支持しがたいところである。江守鑑定の中で、特に注目される点は、轢過車両のタイヤの踏面等に付着した血液はタイヤの回転する毎に路上に残るはずであるが、現場付近には、現場保存は良好であったと窺われるのに、そのような痕跡が見当たらないという指摘であって(このことは原判決も承認しているところであり、記録に照らし疑問の余地がない。)、このことから、轢過車両のタイヤの踏面には血液は付着しなかった可能性が大きいところ、一、二審判決は、そのかなり技巧的な轢過態様の認定にもかかわらず、被害者の血液が被告人車の右後輪タイヤの踏面に付着せずその外側面のみに付着したということをよく説明しえているとは思われない。このようにみてくると、事故現場の痕跡、被害者の事故の直前直後の位置・姿勢、死体・着衣等の損傷の部位・程度及び被告人車の構造などから、被告人車を轢過車両と仮定した場合に推定される轢過態様の考察からも、被告人車の右後輪付着物を本件事故に由来する血痕であると認めるには疑問が残るといわざるをえない。

4 右後輪付着物の発見過程における問題点

被告人車の右後輪付着物については、さらに、その発見過程における問題点もある。

第一に、前記西会津派出所前での轢過車両発見のための検問の際に、検問警察官は被告人車のタイヤも懐中電灯によって観察しているのに、右後輪付着物が発見されず、被告人車は容疑なしとして通過を許されていることをどのように考えるかという問題があるところ、一、二審判決とも、見過されることはありえないことではない旨判断している。しかし、右後輪付着物は、前述のとおり二〇センチメートル×一九センチメートル位というかなり大きなものであって、これが血液であるとすれば検問当時の方が二日後に警察官により発見された時よりも目立つ色調を呈していたであろうし、その付着部位もタイヤの外側であって発見が困難というわけでもないから、一、二審判決が見過された可能性を認める理由として説示しているところ(それ自体としても首肯しがたい部分がないではない。)を考慮しても、検問時においては右後輪付着物は存在しなかったという可能性を全く否定し去ることはできない。

第二に、被告人車の右後輪付着物等は、本件事故の二日後の一二月二二日に岩沼警察署の警察官によって発見されたことは前述したとおりであるが、○○工業株式会社仙台工場(以下「○○」という。)の時点で発見されているのかどうかという問題があるところ、原判決は「同日、まず岩沼署の二瓶速、斉藤義胤両巡査が、○○に赴き、工場内の責任者であるⅠ及び被告人に対し轢き逃げ死亡事件の捜査であることを告げて、両名立合のもとに被告人車を見分し、右後輪付着物を現認したが、両巡査はそのまま岩沼署に戻り、文屋義隆巡査部長に右の現認状況の報告をしたところ、同巡査部長は、宇田川敏男巡査らに対し、被告人車をさらに見分して必要があれば車と共に運転者を同行するように指示した。宇田川巡査は○○において右後輪付着物を確認し、岩沼署まで四キロメートル位であるところからⅠの了解を得て、被告人の運転で宇田川巡査が助手席に同乗して被告人車を岩沼署構内まで運んだ。」旨の捜査経過に関する事実を認定している。確かに右警察官らは右認定に沿う証言をしているし、○○で付着物が発見された旨記載した捜査報告書もある。しかし、右捜査報告書は、第一審判決により毛髪の付着場所、本数について不正確な記載があるとされており、その正確性には問題があるうえ、この報告書にも警察官が二度にわたって○○に行ったとの記載はないし、被告人の異常走行体験供述を録取した司法警察員に対する供述調書にも、「岩沼市の○○工業に積荷に行ったとき岩沼警察署から呼出しがあり、同じトラックを運転して岩沼警察署へ行った処津川町のひき逃げの件で車を見せてくれと言われ警察官立合の上車を見た処右後輪外側タイヤの処に血液ようのものがかなり多く(一〇センチ四方位)付いており……」とか、「二二日の午前九時半ころ岩沼警察署の人が○○工業まで来て私の車を見て行ったのです。……私が今回高岡市に行き帰ってから岩沼警察署に車をあずけるまでの間私以外に運転した人もありませんし洗車もやっておりません。」という記載があり、これによると、被告人が付着物を初めて確認したのは岩沼署においてであると解されるが、○○で付着物を確認したことを窺わせる記載は見当たらない。他方、Ⅰ及び被告人は、○○での付着物の発見はなかったと供述している。のみならず、原判決が認定する捜査経過は、それ自体不自然なところがあるといわざるをえない。すなわち、轢き逃げ死亡事件の捜査のために最初に出向いた二人の警察官が被告人車のタイヤに血痕様の付着物を発見しておきながら、二人ともそのまま放置して四キロメートル離れた警察署に帰ったというのも、また、二度目に○○を訪れた警察官がその場で証拠保全・採取しようとせず、被告人に運転させて被告人車を四キロメートルも離れた岩沼署まで運んだというのも、不可解というべきであろう。このようにみてくると、○○で右後輪付着物が発見されたという原判決の認定には疑問の余地がある。

5 毛髪等について

このように、被告人車の右後輪付着物等に本件事故に由来するO型の人血が含まれていると認めるには疑問が多いということになると、一、二審判決が本件事故との関連性を認めている被告人車の付着物で残るのは、資料②④の毛髪だけである。これに関する鑑定の内容は次のとおりである。

横山鑑定では、資料②は引き抜かれたと思われる人頭毛髪と認められ、資料④は引き抜かれたか切断されたと推定される人の眉毛又はまつ毛と思われるが、いずれについても人の性別は不明であり、血液型検査は実施しなかったとされており、船尾鑑定(同教授の証言を含む。)では、いずれも毛髪で血液型はO型であるが(微量のため血液型検査が不能のものもある。血液型検査には抗H凝集素は用いていない。)、いずれについても、人のどの部分の毛であるか、自然脱毛かどうか、これらが同一人に由来するのかどうか、人の性別・年齢などについての判定はできないし、被害者の毛髪であるとして矛盾はないが断定はできないとされている。

そこで検討すると、まず、資料④は右前輪ショックアブソーバー下部ステーに付着していたとされているものであるが、第一審判決が本件事故との関連性を認めていないのに対し、原判決は関連性を認めている。しかし、被害者が顔面を上にしているところを右前輪で轢過されたとしても、その眉毛など(前記横山鑑定の結果参照)が被告人車の前記部位に接触したと考えると、被害者の死体の損傷状況と矛盾してくるので、横山鑑定を前提にする限り、推定される轢過態様との関係から資料④の本件事故との関連性には疑問が残るといわざるをえない。次に、資料②については、一、二審判決とも本件事故との関連性を認めているが、これは右後輪付着物中に塗り込められた状態で付着していたというのであるから、前述したように右後輪付着物自体の本件事故との関連性に幾多の疑問があるというのであれば、これのみを取り出して関連性を認めるにはよほどの確たる根拠がなければならないであろう。

ところで、血痕鑑定の関係については、一、二審判決も詳細な判示をしているが、この毛髪の鑑定結果のみでどの程度の証拠価値があるのかは全くといってよいくらい論じられていない。横山鑑定と船尾鑑定の相違点については、船尾鑑定を採用すべきであると思われ(前記2の血痕鑑定における両鑑定の評価参照)、これを前提に考えると、江守教授も第一審証言において述べるように、道路に毛髪らしいものは沢山落ちているし、整備員の毛髪が付くことも考えられるので(第一審判決も資料④についてはそのように考えたのであろう。)、毛髪の鑑定結果が、被告人車を轢過車両ではないかと推定させる力はさほど強くないというべきであろう。

なお、被告人車には、一、二審判決が本件事故との関連性を認めた前記血痕様付着物や毛髪のほかにも、毛髪等の付着物や布目痕等があったとされており、とくに、ラジエータコアサポータやラジエータシュラウドにあったとされる布目痕については、被害者が着用していたポロシャツの布目痕と一致するという捜査段階でなされた鑑定があり、検察官は第一審においてはその本件事故との関連性を主張していたが、被害者が路上に横たわっているところを轢過されたと認められる以上は(この点はまず疑問の余地がないと思われる。)、被告人車のそのような部位に被害者のポロシャツ(被害者はポロシャツの上に防寒用ジャンパーを着用していた。)が接触するとは考えられないし(上山鑑定参照。なお井上鑑定でさえも、この布目痕まで本件事故と関係があると想定することはできないとしている。)、他に、本件事故との関連性の有無を論じなければならないと思われるものは存しない。

結局被告人車の付着物及びその鑑定の関係の証拠によっても、被告人車を轢過車両であると断定することはできないことになる。

五結論

以上に説示したところを総合すると、被告人車が轢過車両であると断定することについては合理的な疑いが残るというべきであり、前記のような理由により被告人を有罪とした第一審判決及びこれを是認した原判決は、それぞれ証拠の評価を誤り、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認を犯したものといわざるをえず、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。そして、本件については、一、二審において必要と思われる事実審理は尽くされているので、当審において自判をするのが相当であるところ、記録及び一、二審裁判所が取り調べた証拠を仔細に検討してみても、本件公訴事実を認定するに足りる証拠があるとはいえないことは前記のとおりであるから、被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。

よって、刑訴法四一一条三号、四一三条但書、四一四条、四〇四条、三三六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

検察官佐藤道夫、日野正晴 公判出席

(裁判長裁判官島谷六郎 裁判官牧圭次 裁判官藤島昭 裁判官香川保一 裁判官奥野久之)

弁護人阿部泰雄、同阿部長、同佐藤正明、同小髙雄悦、同長沢由紀子、同沢藤統一郎、同増田隆男、同山田忠行、同吉岡和弘、同川原眞也、同新里宏二、同佐々木健次、同石神均、同松島妙子、同佐藤唯人、同青木正芳、同半澤力、同佐川房子、同武田貴志、同角山正、同村松敦子、同髙橋輝雄、同小野寺照東、同高橋治、同増田祥、同鹿又喜治、同氏家和男、同小野寺信一、同犬飼健郎、同倉科直文の上告趣意(昭和五九年九月二九日付)

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例